リンク・コーナー

スポーツ

2017年2月28日 (火)

日本代表の昔と今

あと8日でWBCワールドベースボールクラシックが始まる。

私は子供の頃、将来プロ野球の選手とサッカー選手とどちらになりたいか迷った事があった。
いわゆる子供の将来の夢である。そしてその時、よりなりたいと思ったのはサッカー選手だった。それはオリンピックに出たかったからだ。日本代表のユニホームを着てオリンピックに出る。そう、日本を背負って世界と戦いたいという気持ちがとても強かったのだ。
当時、オリンピック種目に野球はなかったし、世界大会もアマチュアの大会しかなかった。
叶わぬ夢であっても、世界一を目指せる競技を心の中で選択した。
全ては少年の夢で終わったが、、、、。
アスリートにとって、とても恵まれた時代になった。
サッカー界においては、かつてはプロ選手は日本代表にはなれなかった。
ブラジルやヨーロッパに優秀な選手がプロとして挑戦する事は、すなわち日本代表から優秀な選手を失うという時代に、プロにチャレンジする選手は少なかった。
今であれば、間違いなく釜本選手はヨーロッパに渡ったはずだ。
一方、野球ではオリンピック競技になった後も、しばらくはアマチュア選手しか出場出来なかった。先日テレビの特集で、かつてのアマチュアの大投手である杉浦さんの人生が放映されていた。彼がプロを拒み続けた理由は、オリンピックに出たい!世界一になりたい!というものだったという。今であれば、もし人生が2度あればプロの道を選ぶと語っていた。
国を背負って(平和的に)戦うということ。かつてそのことにあまり興味の無かったイチロー選手は、松坂大輔投手との対談で「何故オリンピックに出たいの?」と尋ねていた。
そのイチロー選手が、日の丸を背負って戦う事の素晴らしさをWBCで知った。
そこには無邪気な、ありのままの彼がいた。第1回のWBC終了後、イチロー選手はみんなと別れたく無い!ずっとこのチームのまま戦いたいと言っていた。彼にとってもしかしたら初めて仲間が恋しいと思ったのかもしれない。
今回のWBC、メジャーの田中も前田も岩隈もダルビッシュも出場しない。アメリカやドミニカ共和国等は、メジャーリーグの大スターが大挙して出場する。
色々と問題もあるのだろうが、サッカーで本田も香川も長谷部も辞退等という事は、まずありえない。サッカーのワールドカップと同じ様にWBCを育てていくためにも、次回大会は日本も真のベストメンバーで戦う環境になっている事を願う。
プロは勝つ事と同時にファンの夢を実現するものだとあらためて思うのである。

2016年11月25日 (金)

海をこえて友よきたれ!

2020年開催の東京オリンピックの競技地問題が、29日の4者会談でいよいよ方向性が決まるようである。様々な意見、自由な議論が行われていることは、それはそれで時代の進歩なのかもしれない。しかし、私はこの50年の日本の歩みの中で、何か根本のシンプルに大切な物を置いてきてしまったように思えてならない。

財政、景気、税金、コスト、、、、今東京オリンピックを語る時、頭に思い描かれるのはお金の問題である。もちろん現実問題としてこの事は大きな問題であり、1円でも無駄なものはカットする努力は必要である。
しかし、根本のところで問いたい。「あなたは東京オリンピックという言葉から真っ先に何が頭に浮かびますか?」と。
最近のオリンピック関連のCMで、「ライバルは1964年」というものがある。
リオデジャネイロオリンピックでもテレビ画面の中に多くの「感動しました」が流れていた。
感動に理屈をつけるのは野暮な話である。
ただ、ライバルは1964年というならば、その1964年の東京オリンピックが心にどんな感動を与えたのか、、、私は考えてみた。当時6才だった私でも素晴らしい感動の記憶は今も生き続けている。
それは何か、心の中に生き続けているのは、限りなく青い空であり、陽の光であり、青空をバックにした聖火であり、その青空に響くファンファーレである。
実は書きながら今気付いたことがある。1964年の鮮明な記憶は、究極のアナログであったと。青い空、太陽の光、アコスティックな管楽器の響き。古き良き時代への郷愁はすなわちアナログへの郷愁である。
であるならば、リオオリンピックの閉会式での東京オリンピックのプロモーションは究極のデジタルである。
1964年の究極のアナログと人間ドラマというアナログの世界とデジタルを融合させた2020年のオリンピック。
2020年のオリンピックで人類のどんな未来が見えるのか、しっかりと見届けたい。

2016年11月17日 (木)

サッカー日本代表 オシムの遺産

昨日、サッカー・ワールドカップ予選に於いて、日本代表がサウジアラビアに2対1で勝利した。

5大会連続本戦出場の日本が、絶体絶命の中で勝ち取った勝利であった。
特に、4試合連続で得点をあげた原口の頑張りは目を見張るものであった。
試合中、相当の距離を走っただろう。それも全力疾走での走りもかなり多かった。
そこで思い出した事がある。今は当たり前になった走って貢献すると言う事。
実は10年前まであまり取り上げられる事が多くはなかった。
優秀な選手を差す時、それは技術的な事がほとんどであった。
特にジーコジャパンの時はそれが顕著であった。
しかし、オシムが監督になった時、走れない選手は代表には選出しないという方針が打ち出された。90分間走れない人間は必要ないと。その時点から現在に至るまで、選手の中に監督がたとえ変わろうと「走り抜く」というベースのマインドが塗り込まれてきている。
オシムは、良く言えば哲学者、見方を変えれば少々理屈っぽいと言えるが、この走れ走れの哲学は日本サッカー界のレガシー(遺産)となり今に生きている。そしてメディアも我々ファンも、選手一人一人に対して、運動量に対する厳しい目を持ち続けるようになった。
その意味でオシムの残した功績は大きい。
アントラーズでは成功したジーコイズムは、日本代表では全く遺産として残る物はなかったように思う。2002年から2006年に掛けては歴史の中で遠回りをしてしまった時間に思えてならない。
もちろん、やるのは選手であり、本田選手の言うように「個の力」の向上は必須条件であるが、監督の哲学がチームにおいてはいまさらながら絶対的条件であるとあらためて思う次第である。

2016年11月 8日 (火)

日本サッカー界!!出よ真の絶対的エース!!

最近スポーツ界において、やたらと「絶対的エース」という言葉が出てくる。

だが、絶対的エースというものは、そんなに多くいるはずが無いと常々感じてきた。
特にこの絶対的エースという言葉はサッカーの世界で多く耳にする。
絶対的エースというのは、ここぞという時に必ず決めてくれる、それが絶対的という言葉の持つ重みであろう。
今のスポーツ界で真の絶対的エースと言えるのは、体操団体の内村選手、ソフトボール女子の上野選手くらいのものか。
かつて、日本に何人の絶対的エースが存在しただろう。
野球のピッチャーでいえば、西鉄の稲尾、近鉄の鈴木、バレーボール女子の白井、、、、
サッカー界で絶対的エースと呼べたのは後にも先にも「釜本邦茂」のみである。
いま全国には多くのサッカーファン、サポーターが存在する。
しかし、どれだけの人が釜本選手の凄さを知っているのだろうか?
絶対的エースとは、世界のどのスーパースターと比べても、その選手に対し自国のファンが誇れる存在である。
サッカー界で特にストライカーが熱望されて長い時間が経過している。
いま、真の絶対的エースの登場を願い、釜本の特集番組を放映される事を期待する。
どれだけ凄かったかと言う事を認識し、選手もファンもより高いレベルの絶対的エースの登場出来る土壌を作るべきであると思う。
私の脳裏には、釜本の引退試合で、釜本選手と神様ペレ選手の2人が騎馬戦の格好で場内を並びながら一周した姿が浮かぶ。これぞまさしくスーパースターであり絶対的エースであるという姿がそこにはあった。
今の若いファンにその姿を見せたいと、、これは私の願望である。

2016年10月 7日 (金)

メダリストのパレードに想う

本日、リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックのメダリストによる大パレードが行われた。皆さんもテレビ等で何度もご覧になった事と思う。色々な方が色々な感想を述べられていたし、皆さんそれぞれの感じた事、感激した事があったと思う。

敢えて私がその事にコメントしなくても良いのかなと思う。
私は全く別の観点から気付いた感じた事を述べたい。
パレードが開始される時、警視庁音楽隊が奏でたファンファーレのシーンを皆さんはご覧になっただろうか?私が観たいくつかのニュースでその事に触れているものはなかった。60才以上の方は耳に聞き覚えがあると思うが、1964年の東京オリンピックファンファーレである。私が小学校に入る前年に開催された東京オリンピック。記憶鮮明とはいえ、幼稚園児だった私が現在58才、今日あのファンファーレを聴いた方の多くが初めて耳にしたとしても不思議ではない。
しかし、私にとってはある意味人生を変えたファンファーレだった。
40年以上も趣味というよりライフワークとして続ける吹奏楽。
幼い日に聴いたあの美しい旋律、青空と聖火に究極にマッチする旋律。
その旋律が忘れられなくて、スポーツの好きだった私は、いつしかスポーツから音楽を選んだ。
今でも世界一美しいファンファーレだと思っている。
テレビを観ていて最近よく感じることがある。未来に向かう事はもちろん大切だが、過去を知っている人がもっと皆が知らないエピソードを紹介して欲しい!と。
最後にもう1つだけ。三波春夫が歌った東京五輪音頭の確かA面だったと思うが、
「海をこえて友よきたれ」という素晴らしく元気で明るい唄が収録されていた。
4年後に迎える東京オリンピックを前に是非一人でも多くの人に聴いて欲しいと願うが、1年前までYouTubeにアップしてあったものが著作権侵害で削除され進める術がみつからない。今後、テレビ・ラジオ番組の中で是非取り入れて欲しいと願う

2016年10月 3日 (月)

大谷選手が本物である証をみた。

日本ハムファイターズの大谷選手の活躍は、皆さんご存知の通りだが、たった今、フジテレビでの特集をみて、若くして本物である事を確信した。

超一流選手という言い方はニュアンス的に経験を伴って仲間入り出来るものという感覚があるが、「天才」は違う。天才は若くしても天才である。
私は、かつて別のブログで書いた事がある。それはサッカーのジーコ選手と中田選手がいみじくも同じ事を言っていたその言葉だ。
「一流選手はプレー中に頭の中で立体的に状況を分析しながらプレー出来る」ということだ。この言葉を聞いた時目からウロコの思いがした。
それは、私が同じ様な事を実際に目の当たりにした事があったからだ。
私は、アマチュアではあるが30年ほど吹奏楽団の指揮者をしている。
曲を作り上げていく中で必ずする事がある。本番の演奏会が近くなると、実際のホールを使って合奏練習をするのだが、その時必ずホールの客席奥から客観的に演奏を聞くメニューを行う。実は楽団のすぐ前で指揮をしながら演奏をまとめていく事では、聴き取れない事が多いのだ。サウンド、響き、バランス、ブレンド感などが、客席奥からだと冷静に判断出来るのだ。
ある時プロの指揮者を呼んで練習を指導してもらう機会があった。
私は客席奥にいてそれを観ていたわけだが、その時に大きな発見をした。
実は、プロの指揮者の指摘する内容は、客席で私が感じた事とほとんど同じだったことだ。その時に思ったのは、プロが凄いのは、自分より指摘が正確に出来る事ではなく、演奏者の目の前にいても、客席奥で聴いているかの如く音楽を聴けるという事だ。
大谷選手は優勝を決めた試合後にこう話していた。「今日は、自分の投球を上から観戦しているような気持ちで投げていました。」と。
おそらく、大谷選手は、ジーコや中田選手の言った事を知ってはいなかったろう。
自分自身で自然にその状態に、それも優勝を決める試合で出来たという事。
やはり大谷選手は「天才」なのだろう。今日は日本のスポーツ界に天才が現れた事を知った日となった。   関連記事

2016年10月 2日 (日)

スポーツ界に観る時代の変化

私が小学生の頃、一世を風靡したアニメが野球を描いた「巨人の星」。

当事、スポ根(スポーツ根性もの)と呼ばれていました。
辛い練習(格技等は稽古)を乗り越えて目標の達成を目指す。
前回の東京オリンピックで金メダルをとった東洋の魔女と言われたバレーボール。
大松バレーはその典型でした。
いつ頃からでしょうか。インタビューを受ける選手が「楽しみます」、「楽しかったです」と答えるようになったのは。
私が記憶する限りでは、シドニーオリンピックで女子マラソンで高橋尚子さんが優勝した後にインタビューに答えた時、笑顔で「楽しかったです!!」と言ったあたりからのように思います。
ブームというか、音楽界の桑田圭介があの歌い方をして以来、その後のシンガーはみなあの歌い方になったように、それ以降、スポーツ選手は楽しむという言葉を競技ジャンルを問わず発するようになりました。偶然かもしれませんが、その頃から、プレーヤーとかスポーツ選手という言い方からアスリートという呼び名に変わったようにも思います。
かつての名選手の中にはそれを快く思っていない人がいるかもしれませんし、羨ましく思っている人もいるのだろうと思います。
楽しいという事の心境は、実際のアスリートでないと本当の感覚はわかりませんが、私は好ましい事だと思っています。
もちろん、中途半端な練習で金メダルは取れないのは当たり前で、厳しい練習を重ねた上での言葉だと思います。
そんな中で、2年前プロ野球選手を引退した「ミスターヤクルト」の宮本慎也さんが引退直後のインタビューで語っていた事は結構衝撃を受けました。
インタビュアーの「どんな時楽しかったですか?」という問いに対して、
「楽しいなんて一度も思った事はありませんよ。とにかく上達するために練習に明け暮れ辛い事ばかりなのがプロですよ」という様な内容を話していました。
侍ジャパンのキャプテンを何度も勤め抜群のキャプテンシーを持っていた宮本選手。彼の言葉もまた真実なのでしょう。
その宮本さんが、来シーズン西武ライオンズの監督になるかも知れないというニュースが飛び込んで来ました。最終的にはOBの辻発彦氏に決定した模様ですが、
今の選手達とどう向かい合っていくのか、どんなチーム作りをしていくのか観てみたかったですね。

2016年9月28日 (水)

日ハム優勝 大谷の二刀流に思う

今日、日本ハムファイターズが優勝を決めた。優勝を決めた試合はまさに、脚本家が渾身の力で執筆したドラマのようだった。おめでとうございます。

私は長年プロ野球を観て来たが、永らくどの球団のファンというものがなかった。
子供の頃、母親が東映フライヤーズのファンでアンチ巨人そのものだったため、私も東映ファンだった。当事は、張本、毒島、大杉、大下の時代。東映が日拓フライヤーズとなった頃、自然に私はどこのファンでもなくなった。母はいつのまにか巨人のファンになっていたが、私は三つ子の魂100までという言葉があるように、何故か巨人ファンにはなれなかった。
その後、大相撲のひいき力士を応援するように、選手個人のファンにはなったが、現在でも日本ハムのファンです!と即答できるような感じにはなっていない。
しかし、間違いなく大谷選手が一番好きだ。大谷が投げれば当然その試合は日本ハムを応援する。大谷の他に応援したくなる選手は、楽天の両松井、西武の菊池雄星あたり。菊池雄星は入団当時からかなり騒がれていたが、最初はやはり実力が伴っていなかった。でも、地道に努力し力をつけてきた。私はそういう雄星に「頑張れ!」と言いたくなる。今日の西武の先発は菊池雄星。花巻東高の先輩後輩。

続きを読む "日ハム優勝 大谷の二刀流に思う" »

2016年9月24日 (土)

スポーツと私

政治の欄で新聞記者になりたい!と思ったと書きましたが、スポーツ記者になりたいと思った時期もありました。

運動神経はかなり良い方でした。球技はほとんどOK。特にサッカーは得意でした。
野球、バレーボール、卓球、バスケット、ハンドボール、それにラグビーも少しだけやった事があります。格技も好きでした。剣道は一応有段者です。
相撲や柔道も強い方でした。自分ではあまりやりませんでしたが、陸上、水泳、体操も観るスポーツとして今でも大好きです。
そもそも興味のきっかけは6才の時、1964年の東京オリンピックです。
6才の記憶でも鮮明に覚えています。特に、体操の遠藤幸雄選手、マラソンの円谷幸吉選手の活躍はずっと刻まれています。
観るスポーツとしては、高校野球、プロレスが大好きで甲子園常連校の校歌を30校ぶんくらい覚えてしまったり、プロレスに関しては毎月専門誌のゴングを欠かさず買い、プロレス博士になれるのではないかと思った事もありました。
ウィンタースポーツに関しては、札幌オリンピックがキッカケです。
ジャンプの笠谷、金野、青地のメダル独占はもとより、決して強くはなかったけれど、岩本、若林、引木のゴールデントリオをセットした時にはどんな強豪国にも引けをとらないアイスホッケーの面白さに魅了させられました。
シューバ、ジャネット・リン、アルトシェンク、鈴木恵一、、、。
中学時代には、新聞のスポーツ欄は隅から隅まで全部記憶しているような感じでした。これが、私のスポーツとの関わりのお話となります。