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2016年11月17日 (木)

サッカー日本代表 オシムの遺産

昨日、サッカー・ワールドカップ予選に於いて、日本代表がサウジアラビアに2対1で勝利した。

5大会連続本戦出場の日本が、絶体絶命の中で勝ち取った勝利であった。
特に、4試合連続で得点をあげた原口の頑張りは目を見張るものであった。
試合中、相当の距離を走っただろう。それも全力疾走での走りもかなり多かった。
そこで思い出した事がある。今は当たり前になった走って貢献すると言う事。
実は10年前まであまり取り上げられる事が多くはなかった。
優秀な選手を差す時、それは技術的な事がほとんどであった。
特にジーコジャパンの時はそれが顕著であった。
しかし、オシムが監督になった時、走れない選手は代表には選出しないという方針が打ち出された。90分間走れない人間は必要ないと。その時点から現在に至るまで、選手の中に監督がたとえ変わろうと「走り抜く」というベースのマインドが塗り込まれてきている。
オシムは、良く言えば哲学者、見方を変えれば少々理屈っぽいと言えるが、この走れ走れの哲学は日本サッカー界のレガシー(遺産)となり今に生きている。そしてメディアも我々ファンも、選手一人一人に対して、運動量に対する厳しい目を持ち続けるようになった。
その意味でオシムの残した功績は大きい。
アントラーズでは成功したジーコイズムは、日本代表では全く遺産として残る物はなかったように思う。2002年から2006年に掛けては歴史の中で遠回りをしてしまった時間に思えてならない。
もちろん、やるのは選手であり、本田選手の言うように「個の力」の向上は必須条件であるが、監督の哲学がチームにおいてはいまさらながら絶対的条件であるとあらためて思う次第である。

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