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2016年11月

2016年11月25日 (金)

海をこえて友よきたれ!

2020年開催の東京オリンピックの競技地問題が、29日の4者会談でいよいよ方向性が決まるようである。様々な意見、自由な議論が行われていることは、それはそれで時代の進歩なのかもしれない。しかし、私はこの50年の日本の歩みの中で、何か根本のシンプルに大切な物を置いてきてしまったように思えてならない。

財政、景気、税金、コスト、、、、今東京オリンピックを語る時、頭に思い描かれるのはお金の問題である。もちろん現実問題としてこの事は大きな問題であり、1円でも無駄なものはカットする努力は必要である。
しかし、根本のところで問いたい。「あなたは東京オリンピックという言葉から真っ先に何が頭に浮かびますか?」と。
最近のオリンピック関連のCMで、「ライバルは1964年」というものがある。
リオデジャネイロオリンピックでもテレビ画面の中に多くの「感動しました」が流れていた。
感動に理屈をつけるのは野暮な話である。
ただ、ライバルは1964年というならば、その1964年の東京オリンピックが心にどんな感動を与えたのか、、、私は考えてみた。当時6才だった私でも素晴らしい感動の記憶は今も生き続けている。
それは何か、心の中に生き続けているのは、限りなく青い空であり、陽の光であり、青空をバックにした聖火であり、その青空に響くファンファーレである。
実は書きながら今気付いたことがある。1964年の鮮明な記憶は、究極のアナログであったと。青い空、太陽の光、アコスティックな管楽器の響き。古き良き時代への郷愁はすなわちアナログへの郷愁である。
であるならば、リオオリンピックの閉会式での東京オリンピックのプロモーションは究極のデジタルである。
1964年の究極のアナログと人間ドラマというアナログの世界とデジタルを融合させた2020年のオリンピック。
2020年のオリンピックで人類のどんな未来が見えるのか、しっかりと見届けたい。

2016年11月23日 (水)

どうしようもない役人気質

いまニュースを観ていたところ、山梨県庁の猫の話題を取り上げていた。

山梨県庁の敷地内を365日解放したところ、猫が集まってきたということだ。
訪れる人の声は「癒される」「かわいい」等と言うものも多いが、餌を与える人がその始末をせずゴミが放置されるというものや、糞尿の問題等も起こってきているという。
知事は、何とかマイナス面を対処していきたいとのコメントを述べていたが、問題は県の担当者の弁である。開いた口が塞がらない、お前はアホか!!というようなコメントであった。
餌の残りがゴミとなる事に関して、「当方では餌を与える方を飼い主と認識しているので、その方が責任を持って後片付けをして欲しい」というものだ。
普通に考えればわかること。県庁にくる猫が、餌を与えている人の飼い猫である訳がないであろうが!!
あまりにも、あまりにも役人らしいコメントである。餌を与える人は責任を持って後の始末をして欲しい!と言うだけで良いではないか!!だから、役人は!!と言われてしまうのである。
本心で言っているとは思えないが、そういう理屈を言わざるを得ない様な役人体質が、日本全国にあるのだとしたら、これを壊す事を最優先にしなければならない。
東京都の豊洲問題も根っこは同じである。

2016年11月22日 (火)

小さい秋は遠くなりにけり

「小さい秋みつけた」という唱歌をご存知だろうか。私はこの歌が子供の頃から好きだった。

夏が終わり落ち着きと少しの寂しさを感じる哀愁のあるメロディーと歌詞。
しかし、最近は8月が終わり9月になりこの歌を思い出す時、「小さい秋みつけたって、、、いつ?」と季節感が全くイメージがわかない。
暑い日と涼しい日とのせめぎ合いをしているうちに、そもそも秋っていつ?と思う程、秋の季節感が無くなっている。先ほどの歌さえ、「小さい冬みつけた」の方が合うとさえ思えてくるここ数年である。温暖化による異常気象、もはや異常気象とは言えないのかもしれない。
もし日本から秋が消えるような時代がくれば、日本人の精神構造まで変えてしまうことだろう。そんな日が来ない事を心から祈る。
折しも明日は関東地方で54年ぶりに11月での雪の可能性があるとのことである。

2016年11月17日 (木)

サッカー日本代表 オシムの遺産

昨日、サッカー・ワールドカップ予選に於いて、日本代表がサウジアラビアに2対1で勝利した。

5大会連続本戦出場の日本が、絶体絶命の中で勝ち取った勝利であった。
特に、4試合連続で得点をあげた原口の頑張りは目を見張るものであった。
試合中、相当の距離を走っただろう。それも全力疾走での走りもかなり多かった。
そこで思い出した事がある。今は当たり前になった走って貢献すると言う事。
実は10年前まであまり取り上げられる事が多くはなかった。
優秀な選手を差す時、それは技術的な事がほとんどであった。
特にジーコジャパンの時はそれが顕著であった。
しかし、オシムが監督になった時、走れない選手は代表には選出しないという方針が打ち出された。90分間走れない人間は必要ないと。その時点から現在に至るまで、選手の中に監督がたとえ変わろうと「走り抜く」というベースのマインドが塗り込まれてきている。
オシムは、良く言えば哲学者、見方を変えれば少々理屈っぽいと言えるが、この走れ走れの哲学は日本サッカー界のレガシー(遺産)となり今に生きている。そしてメディアも我々ファンも、選手一人一人に対して、運動量に対する厳しい目を持ち続けるようになった。
その意味でオシムの残した功績は大きい。
アントラーズでは成功したジーコイズムは、日本代表では全く遺産として残る物はなかったように思う。2002年から2006年に掛けては歴史の中で遠回りをしてしまった時間に思えてならない。
もちろん、やるのは選手であり、本田選手の言うように「個の力」の向上は必須条件であるが、監督の哲学がチームにおいてはいまさらながら絶対的条件であるとあらためて思う次第である。

2016年11月10日 (木)

アメリカ大統領選にみる選挙制度の難しさ

かつてこれほどまで他国のトップを決める選挙に関心を持った事はあっただろうか。

確かに8年前、オバマ大統領が誕生した時も黒人初の大統領と言う事で、日本人の関心も高かった。しかし、あくまでも対岸の事としての関心であり、就任演説を聴きながら世の中が平和になるように願ったものだ。
しかし今回は全く違う。他国の事ではなく、「やばいぞ!」と自分の国への影響を本気で心配する人が多いのではないか。
今回の選挙で、今更ながらだが分かった事がある。この選挙制度についてである。
州ごとの勝敗が1票でも多ければ総取り。日本の小選挙区制と仕組みは同じだが、小選挙区制は首相を選ぶ代議士は1人なのに対し、10人、38人という人数が総取りになるというシステムである。結果、今回の選挙の総獲得票はヒラリー氏の方が多いという現象が起きてしまった。
即座にこの選挙システムはおかしい!とも言えまい。それほど、理想の選挙制度というものは辿り着く事が出来ない。究極の選挙制度などと言うものは、もしかしたら無いのかもしれない。であるならば、時代とともに、よりベターなシステムを考えて行くしか無い。
そして、我が国でも情報公開が叫ばれているが、民衆の意見は情報によって一気に変化する事を考えた時、果たして全て公開した方が良いのか、、、私の考えではノーである。
ならば、本当に世の中を左右するような事柄に関して、例えば三権分立の中で、三権の代表者が協議して公開するか否かを決定するような事も、もしかしたら必要なのかもしれない。
今回の大統領選の結果は、どう嘆こうが出てしまった。
我々の出来る事は、原点回帰。世界平和の為に自分の出来る事をしていくのみである。

2016年11月 8日 (火)

日本サッカー界!!出よ真の絶対的エース!!

最近スポーツ界において、やたらと「絶対的エース」という言葉が出てくる。

だが、絶対的エースというものは、そんなに多くいるはずが無いと常々感じてきた。
特にこの絶対的エースという言葉はサッカーの世界で多く耳にする。
絶対的エースというのは、ここぞという時に必ず決めてくれる、それが絶対的という言葉の持つ重みであろう。
今のスポーツ界で真の絶対的エースと言えるのは、体操団体の内村選手、ソフトボール女子の上野選手くらいのものか。
かつて、日本に何人の絶対的エースが存在しただろう。
野球のピッチャーでいえば、西鉄の稲尾、近鉄の鈴木、バレーボール女子の白井、、、、
サッカー界で絶対的エースと呼べたのは後にも先にも「釜本邦茂」のみである。
いま全国には多くのサッカーファン、サポーターが存在する。
しかし、どれだけの人が釜本選手の凄さを知っているのだろうか?
絶対的エースとは、世界のどのスーパースターと比べても、その選手に対し自国のファンが誇れる存在である。
サッカー界で特にストライカーが熱望されて長い時間が経過している。
いま、真の絶対的エースの登場を願い、釜本の特集番組を放映される事を期待する。
どれだけ凄かったかと言う事を認識し、選手もファンもより高いレベルの絶対的エースの登場出来る土壌を作るべきであると思う。
私の脳裏には、釜本の引退試合で、釜本選手と神様ペレ選手の2人が騎馬戦の格好で場内を並びながら一周した姿が浮かぶ。これぞまさしくスーパースターであり絶対的エースであるという姿がそこにはあった。
今の若いファンにその姿を見せたいと、、これは私の願望である。

法律と楽譜

先日の日曜日、昼のテレビで墓地に関する特集が放映されていた。

あるお寺が墓地を新しい場所に作っている途中だが、その境界線に壁を建設しその壁の土地が他人のものだったという内容である。
他人の土地に了解も無く建設物を作ってしまった訳だが、このお寺の住職は建設に関する手続きをコンサル会社に任せていた。住職は土地の交渉も全てコンサル会社に任せている認識だったが、コンサル会社は土地の交渉は契約内容に入っていないと主張。
では役所はというと、建設に関し、その土地が誰のものであるかという審査はなく、条件を満たしていた為に建設を許可したというものである。
土地の所有者はそのお寺の檀家でもあり、法による争いはしたくないという事で、最終的にはその土地の部分の壁を壊し、いびつに作り直したという結末である。
法は守らなければならない。しかし、まだまだ完璧なものではない。そして時代と共に常識も変化し法も変わらなければならない。
私は、長い間指揮者として楽譜とにらめっこをしてきたが、文章に書かれた法律と楽譜は似ていると感じている。楽譜は作曲者の想い・イメージを書に記したもので、想いを100%詰め込もうと思っても、他人に100%伝える事は出来ない。だから指揮者、演奏者がそこを読み取るという作業をする。
音楽家の中にも楽譜は絶対と信じて疑わない人もかなりいる。しかし私は上記のような理由でその立場はとらない。
法律、特に憲法は抽象的な部分も多く、解釈が重要なものになる。
その文面の意図は何なのか、裁判官の仕事の重要性を改めて感じる次第である。

2016年11月 6日 (日)

政治家よ!しっかりしろ!!!

山本農水大臣の失言が思わぬ状況を生み出してしまった。

パリ協定の温室効果ガス削減の批准に日本が間に合わないという。
そもそも何故批准に遅れていたのか詳しい理由はわからない。
しかし、恐らくそこには政治的駆け引きや思惑があってのことだろう。
日本は世界ワースト5位の温室効果ガス排出国だという。
中国がどうだのアメリカがどうだの、地球を救う為に駆け引きはいらない。
率先して批准する姿勢、それが日本の進む唯一の道。
平和に対する思いも同じだ。もう経済至上主義から脱却しないと地球を守る事は出来ないと何故そんな事がわからない!!言葉の中に宿る強い平和への思いと言うものが、残念ながら安倍首相からは全く伝わらない!!
確かに、経済は立て直さなければならない。国民の生活も守らなければならない。
当たり前の話だが、地球が無くなってしまったら全ては終わる。
その危機感を感じている政治家はどれほどいるのだろうか?
政治家よ!自分の哲学を本気で語れ!!そして選挙で国民の審判をあおげ!!
加藤紘一がかつて行動したように。そして加藤紘一が失敗したのではない。
周りが真の哲学で行動しなかっただけだという単純な事を認識し実践する事。
選挙に落ちたらタダの人。しかし本気でその覚悟を見せた時、世の中は絶対に変わる。
変わらなければ未来は無い事を、我々有権者である国民も自覚すること。
それが唯一日本が、そしてその日本がリーダーシップをとって世界を変えて行く。
もう一度思い出そう! 世界で唯一核を落とされた、そしてあのような原発事故が起こった国であると言う事を!!!!!

2016年11月 5日 (土)

薄毛に悩む多くの人へ

私は20代の前半に髪が薄くなりだしました。しかし、周囲に対して必死に隠そうとしました。

カツラには抵抗があって、微粒粉末をふりかけながら、養毛剤を片っ端から試しました。
飲み会などで話題が頭髪のことになりそうになると体はかたまり、なんとか話題を別の方向に向くようにしむけていました。
薄毛、若ハゲのことは、どれほどイヤかは当事者でないとわからないことです。
私は遺伝もありました。周囲にはおそらくバレていたことでしょう。でも隠そうとしていました。
いま話題になっているピコ太郎さんと10年前に一緒に飲む機会があったのですが、その時、楽屋裏の話を聞きました。たまたま彼がある控え室のドアを開けた時に、超有名な司会者が鏡の前で自分の頭に黒い粉をふりかけているところを目撃してしまったというものです。お互い相当の気まずさがあったとピコ太郎さんは語っていました。
この超有名司会者というのは、生放送でカツラを落とした方とは別の人ですが、プライドの高い人にとって、髪の毛が薄いというのは何よりも認めたくないことだと思います。
私も相当プライドは高かったのでそれはとってもよくわかります。
私は10年前にカミングアウトしました。ガンの手術をした際に、実際には抗がん剤は使いませんでしたが、周囲が勘違いしても良いかなと思い地肌をさらしました。
今は気持ちがとても楽です。再びはえる事はもう諦めていますが、医学の進歩で近い将来薄毛が治る社会がくる事を心から願っています。
薄毛によって人生が大きく変わってしまった方は恐らく数えきれないことでしょう。
一人でも多くの方に本当の笑顔が戻るそんな世の中が一日も早く訪れる事を願います。

2016年11月 3日 (木)

蘇れリベラル勢力!!

アメリカ大統領選挙がまもなく行われる。にわかにトランプ大統領の可能性も出てきた。

IS問題、北朝鮮問題、シリア問題、ウクライナ問題、世界の火薬庫がそこここにある中、過激な大統領誕生は大きな危険をはらむ。
日本国内に目を向ければ、政権自体の右傾化はあきらか。国会議員にとって一番大切な事は何か?どうやらそれは選挙らしい。かつて自民党にはリベラルな人材が多数いた。おそらく心の本音では今でもかなりいると私は思っている。しかし、声があがらないこの現状は、自分の保身が第一と思えてならない。
世界はそのほとんどが資本主義経済体制となった。しかし資本主義、経済優先主義が勝利したわけではない。共産主義、一党独裁主義が負けたのだ。
資本主義経済のほころびは、このイデオロギーが必ずしも未来の理想形で無い事を物語る。もちろん競争は必要である。しかし、弱者に目を向けた、競争の結果からの補正を行う社会民主主義的な資本経済が近未来を救う鍵に思えてならない。
競争による社会の歪みも修正して行く、そして、隣人と協調していく社会、戦争の無い世界。ベストなイデオロギーは私には今はわからない。しかし、将来に向かって今考えられるもっともベターな選択はリベレル社会ではないだろうか。
リベラル勢力の大結集を強く望む。

2016年11月 2日 (水)

秋の叙勲に違和感を感じるのは私だけ?

今年の秋の叙勲、紫綬褒章をリオ五輪金メダリスト16人に贈られることになった。

もちろん、オリンピックで金メダルを穫ると言う事は、出るだけでも夢のまた夢であり、素晴らしい事である事に何の異存もない。活躍を讃えて、県民栄誉賞や国民栄誉賞等は良いと思うが、メダリストを何よりも讃えるのは金メダルという勲章だと思う。
かつて紫綬褒章は50才以上となっていたが、2002年に法律改正により年齢制限が無くなったとの事。
テレビのニュースでキャスターやコメンテーターは笑顔でこのニュースを伝えていたが、
20才の若者がこれからの人生を歩むのに勲章は重過ぎはしないか?
私は、勲章とは、やはり人生の歩み、年輪の重みを表すものであって欲しいと願う。
今回の叙勲、違和感を感じた私は少数派なのだろうか、、、、、。

テレビの中だけにある言葉の不思議

実際にはほとんど誰も使っていない言葉。そんな言葉がテレビで使われ、違和感なく受け止められているのは何故だろう?と以前から疑問に思っていた。

10年ほど前、よく目にした保険のCMがあった。家庭内での会話なのだが、60才くらいのその家の主が、「ワシらの若い頃は、、、、」と言うのだが、この「ワシ」と言う言葉、現実には聞いた事がない。もちろん、地方によって使われる地域がある事は承知しているが、このCMの設定は標準語である。10年前の60才は、ビートルズ世代であり、グループサウンズ世代である。その人が、年齢を重ねたら自分の事をワシと言うようになるだろうか。ただ、テレビで年配の男性を強調する時、このワシという言い方が妙にはまるのも確かだ。
不思議なものである。
そう言えば、アニメのサザエさんの中の波平さんもワシと言っている。会社に勤めているようなので60才前の可能性もある。
もう一つ、いま放映中のスカパーのCMなのだが、堺雅人が秘書の面接をして「明日から来たまえ」というもの。今の世の中で、「来たまえ」などという社長がいるだろうか?
二つの言葉に共通する意味。テレビと言う媒体で、おじいちゃん、社長(偉いさん)を強調する時に、おじいちゃんのイメージが「ワシ」であり、社長のイメージが「来たまえ」であるのだろう。あらためて不思議な常識を認識させられた次第である。
 

2016年11月 1日 (火)

海外トップレディ2人の不祥事に思う

今、世界が揺れている。韓国朴大統領とアメリカ大統領にもっとも近いヒラリー候補の2人が、同じ様な内容で捜査を受けている。

どちらも、国のシークレット部分を外部に漏らしていたという事実。
その行為を行った時の心情は、推測することは出来ても、本当のところは本人にしかわからない。もしかすると本人でさえ自分の心を分析出来ていないのかもしれない。
強いといっても、男性と女性、どうしても精神的な違いはあるだろう。
大統領、国務長官という職務に対して、自信と不安は常に同居していた事だろう。
私もかつて会社で役員を務めていた。コンプライアンスというものは十分に注意していながらも、自分に与えられた権限を使う時、ルールや常識とそこを逸脱するかもしれないギリギリの判断を迫られる事があった。
人間には誰しも弱い部分があり、自分の絶大な権力においては、このくらいは小さな事、私の仕事は結果的に国に貢献出来る事が最終目的と言い聞かせていたのかもしれない。
表に出たこの2つの問題の陰に、もし表に出ていたら!と、何事もなかったように職務を全うした多くの世界の指導者がいたであろうことを思う。
どちらにしても、ここからの1ヶ月で2つの問題のおおよその結論がでるだろう。
注意深く見守りたい。

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