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2016年10月 3日 (月)

法律と刑 - デゥテルテ大統領に思う

フィリピンのデュテルテ大統領が、就任後短期間で何度も失言いや暴言を吐き結局謝罪した。もはや大統領の器でない事は明らかである。

法が独裁者または強大な権力を持つ者に自由に使われるようになった時、それは悲劇を生み出すしかない事は明らかだ。
法には実は2種類の性質があるのではないかと私は最近思うようになった。
1つは犯罪を無くす為のもの。もう一つは犯罪(違反)を少なくする為のもの。
確かに、本質は犯罪を無くす為だけに法は存在するのだが、実際のところ、交通違反の取り締まり等は実質的に犯罪を減らす為のものとなっている。
モラルでなく法律で取り締まろうと思った時、完全に違反が無くなる方向に進むには、極論を言えば刑罰を重くする事。行き着くところ極刑となる。
あり得ない話ではあるが、スピード違反をしたら極刑になるとなれば、スピード違反は先ず無くなるだろう。
モラルの向上を促しながら違反を少なくしていく。最終的には一切無くなるのが目標ではあるが、冒頭に書いた通り、現実的にはスピード違反の法律はその罰則のみでは犯罪を減らす法律であり犯罪を100%無くすにはモラルの向上の力が必要となる。
私は全く法律の専門家では無いが、フィリピンに今求められるのは、いかにしたらモラルの向上を図れるのか、その為の教育と周辺の法整備を急ぐ事ではないか。
死刑廃止論の根本は、どんな事があっても人が人を殺す事があってはならない!という強い哲学であると私は思う。  関連記事

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